私の夫、健太は、自他共に認める健康優良児ならぬ「健康優良大人」だった。滅多に風邪もひかず、ひいても一晩寝ればケロリと治るのが常だった。そんな彼が、ある夏の日に突然、崩れ落ちるようにソファに倒れ込んだ。体温計は、見たこともない「40.1℃」という数字を叩き出していた。強烈な悪寒と、全身の関節痛。「これはインフルエンザに違いない」。そう確信した私たちは、翌日、内科を受診したが、検査結果は陰性だった。医師も首を傾げ、「うーん、ひどい夏風邪ですね」と、解熱剤と総合感冒薬を処方するのみだった。しかし、彼の症状は一向に改善しない。高熱にうなされながら、彼が最も苦しそうだったのは、喉の痛みと、それに伴う激しい咳だった。「喉が焼けるように痛い。何か飲み込むのが怖い」。そう言って、食事も水分もほとんど受け付けなくなった。そして、時折、発作のように「ゴホッ、ゴホッ!」と、乾いた、しかし体の芯から絞り出すような、苦しそうな咳を繰り返すのだ。咳をするたびに、喉に激痛が走るらしく、彼は顔をしかめて胸を押さえた。見かねた私は、セカンドオピニオンを求め、耳鼻咽喉科のクリニックへ彼を連れて行った。そこで、ようやく本当の病名が判明した。ファイバースコープで喉の奥を覗いた医師は、「これはヘルパンギーナですね。喉の奥に、水ぶくれがたくさんできています。この強い炎症が、咳を誘発しているんでしょう」と告げた。子供の病気だと思っていたヘルパンギーナに、大の男がこれほどまでに苦しめられるとは、想像もしていなかった。特効薬はないと聞き、私たちは絶望的な気持ちになったが、原因が分かったことで、対処法も見えてきた。喉の痛みを和らげるための麻酔薬入りのうがい薬や、炎症を抑えるスプレーが処方された。そして何より、体を休め、栄養と水分を摂ることが治療だと教えられた。私は、ゼリーやプリン、冷たいスープなど、彼が少しでも口にできるものを必死で探した。あの壮絶な闘病から数年経った今でも、夏の高熱と咳には、少し敏感になる。ヘルパンギーナは、決して子供だけの、軽い夏風邪ではない。それを、夫の苦しむ姿が、痛いほどに教えてくれた。
彼の咳と高熱、ただの夏風邪じゃなかった。大人のヘルパンギーナ